第15回 香港ビジネス懇話会 『中国での18年をふりかえって』

 

開催日:2009年9月10日(木)15:00−17:00
所属名:ビジネス交流委員会
場 所:日本橋HSBC大会議室

日本香港協会(東京)では9月10日HSBCビル大会議室に於いて、第15回香港ビジネス懇話会を開催しました。

今回はチャイルドシートやベビーカーなどベビー用品事業を中心に幅広く事業展開しているコンビ株式会社代表取締役社長 松浦弘昌氏に『中国での18年をふりかえって』と題し、1991年に香港で拠点を立ち上げて以来18年間にわたって深圳、東莞上海、台湾などに生産工場、販売拠点を展開していった過程をお話いただくと共に、そのなかでの苦労話や具体的な成功例、失敗例などの披露も含め、長い間の体験に裏付けられた中国での事業推進のキー・ポイントをご説明いただきました。

<松浦氏の略歴>
1959年生まれ。1983年3月慶應義塾大学卒業。1987年7月コンビ株式会社入社、生産部に配属。1991年10月Combi Asia Limited(香港)に出向。1993年4月帰任。1995年12月Combi Asia Limited 董事長、東莞康貝童車玩具有限公司董事長に就任。1998年4月専務取締役、1999年代表取締役副社長を歴任、2001年4月代表取締役社長に就任、現在に至る。 
         
■講演では以下が説明されました。
(1)高校時代、初めての海外旅行で家族で香港に行ったのが香港を知るきっかけとなった。1991年に拠点を立ち上げるため香港に赴任、現地社員と二人で現地法人を設立したことで、それ以降、香港は非常になじみの深い土地となった。 

(2)現在コンビ株式会社は売上高268億円、従業員(連結)1855名(2009年3月現在)で
 ・赤ちゃんを育てることが楽しく幸せだと思える社会を作る、
 ・育児をする人を支えるもう一つの手
 ・育児をする人から伝わる自然な笑顔
 ・育児をみんなのものへをブランドプラットフォームとして掲げべビー用品/乳幼児玩具/べビーアパレル/育児環境用品の開発・製造・販売・輸出の事業を広範囲に行っている。

(3)また海外生産コントロールを香港で行い、東莞及び寧波を生産工場に、香港・上海・台湾・韓国・アメリカに販社を置き海外の拠点展開を行っている。

(4)1991年深圳で委託加工による生産を開始した。現在と異なり当時の深圳は開発途上で、香港から通いながら生産を監督していた。

(5)現在は日本での生産は全て中国へ移管した。深圳は日系の会社が進出が盛んになり賃金が上がるなどコストが上昇したこともあり、1997年に東莞に自社新工場を建設、生産を開始した。東莞での生産事業はうまく立ち上がったケースで、
  1.日系会社の進出が盛んな深圳に比べ、競合のない土地で現地採用をしたので
   労務コストが半分で済んだ。
  2.工場設備は深圳からすべて移し、建設業者も現地の会社を起用し日系の
   建築相場からみて1/3で済んだ。
  3.べビーカータイヤなど部品内作によりコスト競争力の向上を図った。  
  4.日系の会社でのコンサルタント経験者をコンサルとして契約、
   また投資計画で工夫をこらした、などが成功理由としてあげられる。

(6)一方、東莞工場立ち上げの前に昆山市で中国の国営ベビーカーメーカー大手と合弁会社を設立したことがある。董事長・総経理をコンビ側でとれば経営主導権が取れると読んだが、生産サイドの中国パートナーと歩調が合わず、結局、合弁解消に追い込まれることになった。
多額の費用と時間を費やして苦渋の決断をすることになり、中国は甘くないと実感したが、
  1.パートナーと信頼関係を作る前に合弁設立を急ぎすぎた。
  2.出資比率50:50が果たしてよかったのか。合弁は現実に失敗した。
  3.深圳での成功に甘え、当時は中国での合弁事業には素人だったと反省している。

最後に、中国での事業は“人”が大事で現地の信頼できる人間をパートナーにして一緒に事業を進めることが肝要だと締めくくられた。

今回も、具体的な事例を引きながら中国での事業推進のポイントを説明願ったことから、出席者の皆さんから中国での販売ルート(直売or代理店経由)や各拠点の日本人社員数、日本での「赤ちゃん本舗」のような売り方は中国にあるのかといった様々な質問が寄せられ、講演終了後も大勢の方々が名刺交換を行いました。

挨拶をする戝前理事長

松浦弘昌氏

会場風景会

名刺交換会

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